みなさんも一度は目にしたことがある灯台。
その役割は船が船舶する場所を識別したり、夜の海に光を灯し、船の安全を守る目的で建てられています。
玄界灘の大英帝国と称された歴史深い灯台があります。
伊都国歴史博物館 学芸員 河合修さん「江戸時代の鎖国が終わり明治になって、当時の西洋のイギリス・フランスなどの技術が日本に導入されてイギリス人のブラントンという技師が烏帽子島の灯台の設計なども手がけたわけです」
烏帽子島灯台。
無人島に突如としてそびえ立つ灯台。それにしてもこんな断崖絶壁に灯台を建てるなんてすごいですね。
伊都国歴史博物館 学芸員 河合修さん「非常に難所につくられたこともあり、レンガ造りの灯台と違って輸送が簡単な鉄の部材を持ってきてそれを組み立てるかたちでつくられたという記録が残っています」
とはいえ建設はかなり大変だったんじゃないですか?
伊都国歴史博物館 学芸員 河合修さん「(建設していた)9人の方が島の近くで海難事故に遭い亡くなったという記録が残っています」
なぜそんな場所につくられたんでしょうか?
伊都国歴史博物館 学芸員 河合修さん「玄界灘は海が荒れることで有名ですけど、海上交通の要所にあり船が航行するのに安全な位置ということで烏帽子島が選ばれたんだと思います」
烏帽子島は対馬海流が西から東へ流れているため、海流に乗って迅速に対応できるよう、唐津海上保安部が管轄しています。
烏帽子島灯台は当初八角形でしたが、老朽のため昭和50年に円筒形のコンクリート作りに建て替えられました。現在も光を照らし、海の安全を守っています。
伊都国歴史博物館 学芸員 河合修さん「灯台にはやっぱり昔の人たちの思いが残っていて海の安全を守るために犠牲を出しながら難工事を成し遂げてつくられた灯台が150年近く光を灯し続けているということを未来の人たちにも伝えていく必要があると思います」
サガテレビアナウンサー
「海と日本PROJECT in 佐賀」推進リーダーとしてリポートします。